Vol.15 「人事評価」で何を評価するか(2019.6.13)

人事評価は、見直しのタイミングでは 

組織にとって「人事評価」は重要な経営ツールです。とくに地域金融機関は「人材がすべて」 なので、なおさら大事なのは、言うまでもありません。 

さて、その「人事評価」ですが、置かれた環境を踏まえると、考え方や価値観を大きく見直すタイミングにきているのではないでしょうか。 

分かりやすいので、営業部門の人事評価をとりあげます。どういう人をもっとも高く評価するかといえば、「より多く営業成績(成果)をあ げた人」というのが一般的です。もちろん若手ほど「プロセス評価」の割合が多くなっていますが、とは言っても価値観の中心は営業成績です。この価値観での設計は、業績が右肩上がりの時代、成果獲得が絶対的な正義だった(お客様にも受け入れられていた)時代、そして、組織内での成⻑ルートが一直線だった時代には、とても適していました。 

しかし、いまは(今後は、さらに)そういう時代ではありません。故に、これまでの価値観に基づく人事評価は、時代にあわなくなってきたと考えるのが妥当です。 

もっとも称賛したい人を評価できているか

それでは、どのような価値観のもと人事評価を再設計すればいいのでしょうか。答えは単純です。「自行(庫)が、もっとも称賛したい人」 が、高い評価を得られるものにすることです。 

前提として、人事評価は、経営ツールの一つの重要な要素です。それ故、本ニュースレター Vol.10『八百万(やおよろず)の「ありたい姿」』でも書いたように、思いを込めた「ありたい姿」を考えたならば、人事評価は「ありたい姿」と一貫していなければなりません。 

かつては、地域金融機関が営業成績をあげるた めの活動や結果が、お客様の成⻑・地域への貢献と整合していたのだと思います。そのため、 営業成績を評価の価値観の中心に据えることと、「ありたい姿」であるお客様・地域への貢献と が一貫してました。そして、営業成績をあげた人と、称賛したい人も整合していました。 

しかし、いまの時代、この構図はどこまで成り立っているでしょうか。 

「ありたい姿」から見えてくるはず

各地域金融機関の経営計画を改めて確認するまでもなく、目指しているのは「お客様や地域の成⻑に貢献し、ともに成⻑すること」のようで す。これを「ありたい姿」としたら、人事評価 で高く評価し称賛すべきは「お客様や地域の成 ⻑に貢献した人」であり、「その活動を通じて自ら成⻑した人」であるべきです。 

見誤ってはならないのは、営業成績をあげた人が必ずしもお客様・地域の成⻑に貢献した人とは限らないことです。そして、営業成績の多寡と成⻑とは完全には結びつくものではありませ ん。また、プロセス評価を盛りこんでいたとし ても、たとえば何枚もの「事業性評価シート」 を作ったところで、それが作業にとどまり、お 客様の役にたっていないならば、そのプロセス は成⻑につながるものではなく、評価に値する ものとは言えません。 

理想論だけど、現実的には難しいよね” 

「お客様や地域の成⻑に貢献した人」「その活動を通じて自ら成⻑した人」を評価するのは、 理想論であって、現実的には難しい 

こんな声もあろうかと思います。 

はい、その通りです。目標設定も評価も、単純 にはいきません。評価者のトレーニングも必須 です。営業成績(数字)で評価したほうが、はるかに簡単で、説明もつきやすいです。 

それでもあえて、見直しに踏み込んで欲しいと 思うのは、いまの人事評価が行職員の「成⻑」 「やり甲斐」「イキイキ・ワクワク」につな がっていないように見えているからです。そし て、「人材がすべて」の業態だからこそ、その最大の財産を活かすために「より望ましいもの」があるならば、難易度が高くても立ち向かって欲しいからです。

時間をかける価値があるもの 

「人材がすべて」というのは私が所属していた 外資系コンサルティング会社も同様です。会社 からの評価が適切でないと思えば転職すること に躊躇がない人の多い業界でもありました。 だからこそ人事評価はきわめて重要でした。 

制度の具体的な中身は紹介できませんが、年に 2回の人事評価にあたり、上位の人達が、多くの時間をかけて、多面的な角度から、本人とも十分なコミュニケーションをとりながら、「成⻑・育成」の観点を主眼に人事評価をしていました。プロジェクトが終わるごとに定量的な評価もしているので、それら定量評価の単純平均で年2回の評価を終わらせることもできるのですが(私が入社した頃は、この傾向が残っていました)、「成⻑・育成」を重視する方針のもとで、評価の視点や評価方法は、常に試行錯誤で改善を繰り返しながら進化させていました。 

誤解ないようにしておくと、いまの地域金融機関が、人事評価に手を抜いているという意図ではありません。伝えたかったのは、環境も踏まえ、人事評価に見直しの余地がある(「ありたい姿」と、称賛したい人と、実際に高評価をうける人が整合していない)ならば、「評価が難しいから、非現実的」とせずに、検討に時間がかかっても、評価に時間がかかっても、試行錯誤しながら向き合って欲しい、ということです。 

「ありたい姿」を目指し組織と行職員がともに進み、人事評価がそのために正しく機能する。 そんな状況が作れるといいなと願っています。 

以上、髙橋昌裕からのYELLでした。