ネガティブな視点が起点となる言葉
多くの地域⾦融機関が、「お客様の課題を解決したい」「課題解決型の営業をする」とうたっ てます。趣旨は大いに賛同するのですが、私は「課題解決型営業」という⾔葉は好きではありません。
なぜかと⾔うと、出発点が「課題」というネガティブなものだからです。営業担当者の意識が、お客様の「良いところ」ではなく、「課題」探しというネガティブなものになり得るからです。
実際、複数の友人(中小企業の経営者)から「地域⾦融機関の営業担当者が来て、御社の課題は何ですかと尋ねられた」という話を聞きました。これ、かなり残念な対応だと思います。
良いところよりも、悪いところに焦点をあててしまう、⾦融機関特有の「減点主義」の思考が、対お客様との関係でもあらわれてはいないでしょうか。
目指す姿・前向きなことを起点とすべき
お客様の理解を深めるには「社⻑は、この会社をどうしたいのか」「どうありたいのか」、さらに「いまの良さ・強みはなにか」など、目指す姿・前向きなことを出発点とするのが基本です。決して課題からのスタートではありません。
「そんなことは当然わかったうえで、課題を聞きに⾏かせている」。こんな反論があるかもしれませんが、本当にできているでしょうか︖
本ニュースレターのVol.2「事業性評価『シート』に思うこと」で書いたとおり、事業性評価シートの設計⾃体が、社⻑の目指す姿を聞く(書く)ことなく、「課題」を書くようになっていることは珍しくありません。このシートを前に、⽀店⻑・役席が営業担当者に対して、「この会社の課題をまだ書けないのか」「きちんと課題を聞いてこい」と、「課題」にばかり重きをおいたコミュニケーションをとってしまっていることはないでしょうか(シートに対して「忠実」な対応ではあります)。
「⾔葉」は大事
単に、「表現の仕方の問題」と⾔ってしまえばそれまでですが、それでも「⾔葉」は大事です。
思い返してみると、⾦融庁が「事業性評価」と⾔い始めてからしばらくの間、⾦融庁が意図したような、事業性評価の内容をお客様にフィードバックし、お客様の将来を考える共通の材料として活⽤した⾦融機関は⼀部しかありませんでした。
これは「評価」という⾔葉が使われたことが⼀因だと思っています。「評価」という⾔葉から⽴場の上下を想起し、そして⾦融機関内部での「評価」に使えばいいと解釈されたのは、⾃然の成り⾏きでしょう。
もし仮に「事業性コミュニケーション」という⾔葉をもって世に出されていたなら、いまとは違った速さ・深さで進化を遂げていたはずです。
意識に刻まれる⾔葉
科学的な根拠や専門的なことは分かりませんが、人の脳はネガティブな⾔葉により敏感に反応し、意識を形成してしまうそうです。
そして「後ろ」に続く⾔葉よりも、「前」にある⾔葉を、意識に強く刻むようです。
先日お亡くなりになった、故・野村克也さんのエピソードで次のようなものがあります。
監督時代、相手ピッチャーの投げる球、特に高めの球がとても良く、打ちあぐねたそうです。そこで選手に「高めは打つな」と指示を出したのですが、選手は次から次へと高めの球に手を出して、凡打を積み重ねていきました。そこで考えた野村監督は、「低めを狙え」と指示を変えます。すると、次々とヒットを打つようになったそうです。
最初は「高め」という⾔葉が前にあったため、いくら後ろに「打つな」と否定の⾔葉があったとしても選手の意識は「高め」にむかってしまったわけです。
「課題解決」についても、同じことが起こり得ないでしょうか。特に「課題」という⾔葉には強さがあるため、意識がそこに向かってしまうことを危惧しています。
⾔葉を変えれば、⾏動が変わる
“⾔葉は意識を作ります。
意識が⾏動を作ります”
最近、こんなことを考えています。
「課題」に限らず、何気なく使ってしまっている 「ネガティブ」な⾔葉を、「ポジティブ」な⾔葉に置き換え、使ってみてはどうでしょうか。
ただでさえ、マスコミ報道などは、地域⾦融機関に対してネガティブなトーンのものばかりです。そのうえさらに、内部で使われる⾔葉がネガティブトーンであれば、⾏職員の「イキイキ・ワクワク」は遠のいてしまいます。
ポジティブな⾔葉に置き換えよう
誤解なきよう繰り返しますが、「課題解決型営業」の名のもとでやろうとしていることには大いに賛同します。そして、地域⾦融機関として取り組む意義が大いにあるとあると思っています。
だからこそ、⾏職員の目線がお客様の「課題」というネガティブなものに向きがちなのが勿体ないのです。
⾔葉が変われば意識が変わり、意識が変われば⾏動も変わります。御⾏(庫)で使われている⾔葉を、1つでも2つでも、もっとポジティブなものに置き換えてみませんか。それだけでも違う世界の⼊り⼝に⽴てる気がします。
以上、髙橋昌裕からのYELLでした。